脱!エリートもどきの雑記帳

インプット中心の頭でっかちエリートもどきが、人生やったモン勝ち!楽しんだモン勝ち!の精神でアクションを起こし、アウトプットしていきます。

考え過ぎずに手をつけてみること

月火の2日間、通常業務とは全く異なるイレギュラーな肉体労働(これからの1ヶ月はむしろレギュラー的な感じですが、、、)に従事。

幸い、終わりが決まっている関係で通常より早い18時には帰宅の途に。

 

月曜はみなとみらいのスタバに立ち寄り2時間資格の勉強をして、回転寿司でディナー、そのままW杯となかなか充実したものだった。

 

が、昨日。

帰宅してぼんやりテレビを眺めていたら22時に。そしてそのまま就寝。

疲れていたので、休みが取れたことはよかったが、課題も。

 

「せっかく時間があるのに、何をすべきか、何がやりたいかを考えることに時間を使って結局何もできなかった」

 

 

何をすべきか、何をしたいか考えて、結局行動しないのであれば、何も考えずに行動しないのと同じ。

 

私は自己啓発本を読むのが結構好きだが、その1つに

 

「決断した数で人生は決まる」

 

というものがある。

 

結局決断しない限り物事は前に進まないし、時間が過ぎていくだけで成長も達成感も得られない。

 

決断した数の違いが能力と経験の差を生み出していく。

 

私は昔から、考え過ぎて決断を先延ばしにする傾向がある。

 

最短ルートを取ろうとしたり、よりよい物はないかひたすら調べたり。

ただ、その行動が最適解であることはまずありえない。

 

であれば、少し考えて調べたらまずやってみて、うまくいかなかったり、楽しくなかったり、合わなければやめて他のことに移ればいい。

最初からベストなものにたどり着くことなんてないんだから。

その方が結果的にみて、早くゴールややりたいことにたどり着く可能性も高い。

 

 

考え過ぎずに手をつけてみること。

 

これは何でもかんでも無謀に行動に移すというわけではなく、ある程度考えたら、実際にやってみること。

そしてやっていく中で修正していくことだ。

 

頭ではそんなこととっくに理解しているのに、昨日も含めてそれがなかなかできない。

 

多分それは、「ある程度考えたら・調べたら」

の「ある程度」の判断基準が自分の中で明確になっていないからだと、今このブログを書きながら思った。

 

自分の中である程度に達したと思たら、行動できるはず。

変に時間があると、考えることに時間を使い過ぎてしまうのだと思う。

(そして大抵はウンウン唸って悩んでるだけで、考えてはいない)

 

つまり、このある程度の基準さえあれば、行動量が増やせるはずだ。

 

では、ある程度とはどの程度なのか?

 

ここに踏み込むと疲れてしまいそうなので、そこは週末の宿題とでもしておこうか。

 

そういえば本棚にあるこの本、今の気持ちで読み返してみたら、何か得ることがあるかもしれない。

 

https://www.amazon.co.jp/dp/B00BKXBQ4U/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

とりあえず、その答えが書いてないか今日家帰ったら読んでみよう。